園長雑感(6月) 「聖公教育」ってどんな教育? ~ 子どもの「変容の姿」そして「わんぱく農園での活動」から ~

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雑感

 園長は時々「聖公教育」なんてことを口にします。それってどんな教育のこと?

 「子どもの変容の姿」と「サツマイモの植え付け」2つのことを例にお話しします。

 年少バラ組教室で鉄棒運動の練習が始まった。

 満3歳児ピンク帽子から在籍している子ども達の多くは既に“足抜き回り”ができるようになっている。   “前回り下り”ができる子どももいる。 “逆上がり”に挑戦している子もいる。今年度入園して間もない子ども達も先生に言われるまま、順番に鉄棒を握り足抜き回りに挑戦している。

 そのような中、A児ただ一人鉄棒運動を避けようとしている。 「イヤだ イヤだ」と大声で泣き喚き鉄棒を握ろうとさえしない。 言うまでもなく目には大粒の涙である。

 それでも担任は容赦しない。 学級補助としてクラスに入っている竹井教務主任さんと二人、嫌がるA児を鉄棒の前に立たせ、無理矢理鉄棒を掴ませ、何とかして鉄棒を掴んでいる両手の間に両足を入れ、足抜きをさせようとする。 身体は大きく、体重もあるA児である。 しかも大声で泣き喚き嫌がっている。 担任のやろうとしていることは簡単にできることではない。 見ていた私も手伝う。 大人3人の力でなんとか「足抜き回り」の形をつくることはできた。 しかしそれは教師の側の考えであって、A児にとっては何があったのか全く理解できていないに違いない。 回った後も泣きっ面である。 (無理矢理させられて)「できた実感」「達成感」なんて感じてはいないに違いない。 それでもいい。 「やった~ やったぞ! できた できたぞ!」3人して大声で褒める。 大袈裟に褒める。 頭をなでる。 それでもA児はまだ泣いている。

 上述のようなクラスの鉄棒への挑戦・練習風景が繰り返される。

 なぜ、こんなにも嫌がるのか? なぜ、こんなに嫌がっている子どもに無理矢理させるのか?

 無理矢理回らせた日から10日ほど経った6月6日月曜日の朝。私は園長室でパソコンに向かっていた。 そこにどやどやとやって来たのはばらぐみ園児7~8人。 口々に何やら叫んでいる。 「なんだ? どうした?」に「園長先生来て、来て」「来て見て」「鉄棒・・・・・」・・・ なんと騒々しいことか。 「うん、鉄棒してるのか? よし、行ってみよう」と立ち上がる。

 鉄棒の側にはいつものように担任と竹井主任さん。 促されてA児が鉄棒の前に立つ。 「あれ?泣いてないぞ?」 鉄棒に手をかけたA児。 なんと自力で「足抜き回り」をやってのけたではないか。 先生の手助け無しで。 「おお~ やったー!」「すごいじゃないか、A君!」大きな声で大袈裟に褒める。 10日前の顔ではない。 得意げな、いや、戸惑っているようにも見える顔つきである。

 10日金曜日の「鉄棒タイム」でも自力で回ったA児。 その顔はいかにも得意げである。 隣の子どもに「できた」と言っているのはうれしさの表現。

 それまで経験したことのない鉄棒運動には強い拒否反応を示していました。 しかしそれが、しっかりとした見通しをもった教師の「指導」と「強制」が相まって「怖さ」を克服し、回ることができるようになりました。 この体験をしたA児は、それまでのA児から大きく成長したA児に変わったと考えています。

 回ることができるようになるまでの練習の様子を見た人がいれば「なんてことをするの」「そこまでやるの?」「イヤがっているのに」「あの子がかわいそう」と思われる人もあるかもしれません。 しかし、それは違います。 「この子はできるようになる」との確信をもって指導に当たった教師、見事にやり遂げたA児です。 「かわいそうだから」の考えではA児の成長はありませんでした。 

 このようなことを通して「生きてはたらく力」は身についていきます。  このように「子どもの変容」を目指すのが「聖公教育」の一側面です。


 6月1日(水)にはゆり組とばら組、8日(水)にはきく組の子ども達がわんぱく農園に出かけ「サツマイモの植え付け」をしました。

 この時期(県内、いや全国的にも)教育機関としての多くの幼稚園、小学校等でもサツマイモの植え付けが行われています。 その様子が新聞、テレビ等で報道されることもあります。

 ところで、マスコミ報道で見る子ども達の植え付けの様子と、聖公幼稚園の子ども達の植え付けの様子とでは「違っている」ところがあることにお気づきでしょうか。

 報道機関のそれで見るものは、黒いビニルシートを張った畑で、手袋をした子どもたちが、ビニルに開けられた穴の中にサツマイモの蔓を植え付けています。 今風農業のサツマイモの植え付け風景です。

 ところが聖公幼稚園のそれは、皆様ご存知のようにむき出し(と言うよりは土そのもの)の土に、手袋をしていない子どもたちが素手でサツマイモの蔓を植え付けていきます。 なぜ?

 聖公では、サツマイモ植え付けで体験させたいことは「植え付ける」ことだけではありません。 むしろわんぱく農園に出かけることの最大にねらいは「自然に触れる」ことです。 自然そのものの土に手袋をしていない自分自身の「素手で土を掘り」、そこに「素手で植え付け」をしていくことが最大のねらいです。 ビニルシートを張ったマルチ栽培、そして手袋をしていたのでは自然の土の感触を得ることはできません。 毎日遊んでいる幼稚園の園庭は“土”ではありません。 “砂”です。 本物の土の感触を・・・・・

 これも「聖公教育」の一側面です。


      <大分聖公学園 聖公幼稚園>