園長雑感【7月】 「園長先生 マイク買って」そして「○○くん がんばれ!」 ~ 「教育」と「子どもって・・・」を考える ~

query_builder 2022/07/07
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 長く教員生活(教員生活と言うより教育の世界に身を置いていると言う方が正しい・・・?)をしていると様々な考えさせられることに出会う。 「教育」とは何かを真っ正面から問うものであったり「子どもって・・・」と考えさせられたりする。  本園保育・教育の中で経験した二つの出来事を紹介しましょう。


<その1> 「園長先生 マイク買って・・・」

 私が園長として勤めるようになった1年目の「学習発表会」(その後『みんなのわくわく発表会』と名付けた)が終わって数日後に開かれたPTA役員会の席上、 PTA会長さんから「園長先生、マイクを買ってください・・・・」との要望があった。 そのときは「会長さんの言うことはもっともなことだ」と思った。  発表会当日、子どもたちはそれぞれその役柄に合った衣装に身をくるみ、 この日のために練習してきたセリフを口にしている。 ところが、ところがである。 この日のために練習してきたセリフ、 その声が小さくて観客席にいるお父さん、 お母さんには聞き取れなかったのである。 どの子もそうであった・・・・ これは、発表会=劇としては致命的なことである。 前年度までもそうであったのであろうか?  おそらくこの年に限ったことでなく、これまでもそうであったに違いない。  

「マイクがあれば・・・」と考えるのは真っ当なことである。 その準備をしていなかったのは幼稚園の落ち度か? 子どもたちの声が小さいことに気づいていなかった新米園長の至らなさか? ・・・   

マイク購入の検討を始めた。 ピンマイクか・・・ 集音マイクか・・・ 値段は・・・ いろいろと検討しているうちにどこからか「ちょっと待て、おまえのしていることはそれでいいのか? 園長として正しいことなのか?」という声が聞こえてきたのです。  

マイクを使えば、間違いなく子どもの声は親御さんに届く。 親は満足する。 それで一件落着・・・ 問題解決である。 しかしそれでいいのか?  親は満足しても子どもは少しも変わってはいない(成長していない)。 「劇」としてはそれでもよかろう。 しかし幼稚園(学校)は劇を見てもらうための劇場ではない。 教育機関だ。 子どもを育てるところだ。 マイクではなく、子どもそれぞれの声が「生」でストレートに観客席に届くようにする、 劇を通して子どもの成長した姿を発表することが「発表会」であるはずである。 そのような子どもを育てることがオレの仕事ではないのか? 子どもたちは日常生活では大きな声を出している。 「劇」で出せないはずがない。 「教育だ!」。  劇のためのマイク購入は止めました。  

翌年の発表会ではマイクがなくても・・・ 2年後の発表会ではどの子も「大きな声」「大きな動作」で演じることができるようになりました。  

今年度も2月末に予定している「みんなのわくわく発表会」。 「幼稚園の子どもがここまでやるか」との思いをもって見ていただけるものをと考えています。 そこでの子どもの姿は、17~18年前当時の子どもたちが「私の声をお家の人に聞いてもらう」「ぼくの動作をお家の人に見てもらう」ことを真剣に考え懸命に取り組んだ成果としての“聖公の風”を受け継ぎ、 向上心に燃えて努力・挑戦している子どもの姿になるはずです。


<その2> 「○○君 がんばれ !」  

あの子ども達、今は中学2年生。 その子ども達が年長ゆり組、10月も下旬のある日のこと。  

ゆり組26名が園庭で跳び箱運動に取り組んでいた。 4段をきれいに跳んだのはD男、K男、A女3人。 次に担任の先生が跳び箱に上がり、身体を丸めた。 3人に向かって「先生の上を跳べ」と言う。 これまでにも同様のことをしていたのであろう。 当時園には幼稚園用4段までの跳び箱しかなかった。 4段の高さは50センチメートル。 4段の上で丸まっている先生の背中までの高さとなると恐らく教育用跳び箱(小学校規格)8段、90センチメートルはあろうと思われる。  

1回目 D男成功。 A女成功。 K男は先生をとび越えはしたものの着地に失敗し転んでしまう。 悔しいのであろう、目には涙。 先生は跳び箱の上で丸まったまま何も言わない。  K男、2回目の挑戦。 スタート地点に戻り、再挑戦スタートの構え。 しかしその姿勢のまま跳び箱?先生の背中?を厳しい顔つきで睨みつけて動かない。 直前の失敗が頭にあるのか、スタート気力の高まりを待っているのか、どこをどう修正するかを考えているのか、 この子の場合おそらくそれら全てであろう。 走り出す構えのまま身じろぎもせず目線は跳び箱。 溢れる涙をぐっと堪えているようにも見える。 担任は跳び箱の上で不動、一言も発しない。  

見ている子どもたちの様子が変わってきた。 どの子も目線はK君へ。 園庭が静まりかえる。 そのうち何人かの子どもたちの「がんばれ○○」「がんばれ○○」の声。 その声はクラス全員大合唱の声援へと・・・・  そのようななかでもなかなかスタートがきれない。 再挑戦スタートの姿勢のまま身じろぎもせず跳び箱を睨みつけている。  ・・・ この間1分か、いや2分もあったかもしれない ・・・ 大声援のなか意を決したか「スタート」・・・・ 見事8段相当の高さ、丸まった先生の身体をとび超えた。 着地も見事成功。 大声援は大きな拍手へ ・・・・。  

K君自身の運動能力、力量もさることながら、クラス全員の大声援が大きな力となってK君を後押ししたのだと考えている。 友達を応援する、クラス全員一丸となって応援する・・・・・・ 子どもってすごいなあと思いました。 同時に、このようなことができた背景には、担任による日頃の人間関係、社会性に目を向けた学級経営があったからこそと考えています。  

このようなことができる子ども育て。 それはまさに《聖公教育》の本質部分です。


      <大分 聖公幼稚園>